あるのはただ
- こういう書き方がこういうターゲットに対して効果的である
- こういう書き方はこういうターゲットに嫌われる
というノウハウだけでないかと思うんですが。
たとえば効果音を4倍角にしてみたり、文字の色を変えてみたり、そういうのを受け入れられない人はいるでしょうが、そういう演出も含めて楽しむ人がいるのもまた事実。
書き手が「万人受けしたい」と思っているのであれば、嫌われる可能性を忠告するのは有意義でしょうが、「あんたの書き方は小説として間違ってる」という指摘はどこか変な感じがします。それを小説として受け入れて楽しんでる人がすでにいるんだから。
その物語が「誰」を想定して書かれたかを考えずに、自分の価値判断だけでもって他者の作品を否定する発言を目にすると、私としては少々不愉快だったりもします。
もちろん、ある書き方に対して「否」と声を上げるのもまた言論の自由に守られた行為でありましょうが、個人の意見、せいぜいが多数派の意見にすぎないものを常識と履き違えて大上段に突きつけるのは、あまり美しいものではないと思うんだなあ。
まあ、自分のローカルで通用するルールは小説と名のつくもの全部に通用すると考えているかのような書き手さんも見かけますから、どっちもどっちという気もしますけど。